2015年8月3日月曜日

3.11の記録 2010年10月

出版不況の波に翻弄され、精神的に追い詰められて書店を閉店してから3年ほど経った2009年。
フリーで仕事と言えば聞こえは良いが、実際は定期収入も満足に得られず、生活はパートナーに頼らざるを得ない状況が続いた。
自分自身がそういう状態を招いたことと、そこから浮上するきっかけも摑めずにいることに耐えられなくなった事もあり、とうとうパートナーとも別れることとなった。

自分が培ってきたものを全て無くしたという絶望感で、うつになりかけもしたが、逆に堕ちるところまで堕ちたという開き直りも芽生えてきて、まずは生活の立て直しを図ることとした。

フリーの仕事の性質上、パソコン一台あればなんとかなるという事で、東京での家賃分を考えたら、打合せで東京と実家を往復する費用の方が安くつくだろうという算段のもとに、田舎での仕事も見据えて、2010年心機一転、一旦実家の陸前高田に居を移すべく、準備を始めた。

その夏、東京の住居を引き払い、荷物を全て実家に運び、いよいよノマドワーカーの生活に入った。
月に1回から2回の打合せをするため上京し、は安いビジネスホテルで1〜2泊するという暮らしが半年ほど続いた。
その年、知り合った現在のパートナーが、2世帯住宅になっていた母方の実家に住むということで、2011年には、上京したときはそこを宿とさせてもらうこととなった。

そんな状況で、3月11日が訪れた。

確かその週の月曜か火曜、7日か8日に東京に着いて打合せをして、10日には帰るはずだったが、資料がまだ揃っていないから、もう一度打合せしましょうということで、2、3日帰るのを延期した。
11日は、昼過ぎから秋葉原に買いものに出ていた。
実家にあるパソコンのデータに、やはり持ち歩きたいものがあったので、ポータブルのハードディスクを購入しようと思ったのだ。
秋葉原のパーツや小物などを扱う多くの店舗がある1角で、ハードディスクを購入し、店内を物色していたとき、地震が発生した。
三陸は昔から地震発生率は高い。高校生の時には震度5を経験し、授業中に校庭に避難したこともある。
そのぐらいまでなら、大丈夫という気持ちがあったが、この時はさすがに尋常じゃないぞと思って、店内を出て近くの駐車場の辺りまで歩いた。
少しでも広い場所に行こうという思いだった。
電信柱がかなり大きく揺れて、見上げるとビルの揺れも確認出来た。

これは、いままで東京に居た中でも経験のない大きな揺れだった。
ちょっとヤバイんじゃないか、という気持ちが僅かに芽生えたように思う。
その時はまだ、どこが震源地なのか何も分からなかった。


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